それなり、という状態

それなり、という状態

ただ日に、日常に流されていたなぁ
と感じていたのは、30代後半あたり。

仕事も忙しく、イタリアに行く頻度も
上がり、年のうち4ヶ月くらいはミラノに。

当時の恋人とは、私の仕事が理由なのか..
果たして余裕のない気持ちが理由なのか..
わからないまま、それを問い詰めることもなく
アッサリと終わったことも何度か。

そして
まぁ、そんなものでしょ という自分の気持ち。

停滞するのが嫌で、どんどん先を行きたい
気持ちしかなくって、それなりに元気で
友人との会話からの刺激や、マラソンを
やっていたこともあり、体力もありました。

それなり、の満足感 はあったのかも
しれない。けれど、それなり と感じている
気持ちって実は根深くて..いつまでも前に
進みたいのに、進めない。これでいいんじゃない
という気持ち、と、でも…という気持ちの
競争という、か。

それなり、という言葉は怖い。
そして、満足してないのに満足しているんだって
自分を納得させようと使っていたエネルギー
の大きいこと、大きいこと。

本心はそうじゃないのだから、
エネルギーを使っていたのだな、と
今になって思う。

いろんな情報がありすぎて、とても便利な分
疲弊することも多い今。こういう時代は方程式
も回答も人が出してくれて、では!と流れて
いくものでもなく。前の私はちまたにあふれる
方程式みたい?なの、ばかり探して求めて、
見つけてはみて、無理やり..それでいいんだって
納得していたような気がする。今になって
思うと。

本心を知る、本心はどう感じているのか..を
言語化しておく。これはなかなかに大変な
ことなんだろうけれど、一番大切なこと。
いくら時間がかかっても良いし、沢山たくさん
間違えて疲れ果ててしまっても良いから、
もう、それなり、で誤魔化していくのは
やめたいなと思う。

時間というものは本当に貴重で、
どう過ごすのも、どんな気持ちを抱えていても
同じく流れていく。その濃度を変えていくのは
過ごした次第なんだな、と。

今、何の心配もないとしたら
何をしたい?

お金も、時間も、体力も、しがらみの
心配も、何もないとしたら?