「やりたいこと」は大きくなくてもよい 

「やりたいこと」は大きくなくてもよい 

周りの人の活動や進捗が手に取るようにわかる、今。
SNS社会は、自分をみつけやすいし、同時に「自分がわからない」
ということにも陥りやすいのだなと思う。

「やりたいこと」という言葉は魔力、だ。
それがみつかれば、もう絶対安心のような気持になる。
つかんで離さなくなるんだろうし、にぎりしめていれば
安心という気持ちにもなる。

それが無くたって死なないし、お金もなくならないだろう
けれど、「いきがい」「やりがい」「ヴィジョン」社会は
「あなたはどういう人、何をしたいの?」と問い続ける社会なのだ。

それが見つからない、ない、ない・・・と焦りを感じている人が
多いような気がしている。私もまだそう感じることがゼロではないし、
目の前のことに集中することも難しくて
人の活動ばかりみてしまい、そのたびに手元や頭が真っ白で
アイデアもないことに気づく、そのループを延々と。

情報化社会は、つながりやすく情報強者と弱者がハッキリ。
フラットになっているのかと思いきや、結局オンラインで何も
完結することは無いということは、コミュニティが流行っている
ことでも分かる。大切なのは、リアルな場での「活動」であり
人との関係。結局、人って社会性のある動物なのだなと思う。

「問い」を投げかけられる社会は、自分軸がある人はとても生き易く
他に圧倒的な「差」が出るのだろう。そして情報は言葉でどんどん
伝達していくから、SNS含めてどんどんと・・問いかけは続いていく。

私のように、「言葉に捉えられてしまいがち」な人は
「定義」や「べき」から、ちょっと距離をおいて
もっと単純に、子供のような気持ちでいると楽しいのかもと。

ただ、今日がこんなに酷暑の七月スタートなので・・
子供のような気持で、まっさらに丸出しでいく夏にしていく。

自分自身は、ひとあし飛びに大きくどんどんスピーディに
行ける時とそうでない時の差が激しい。無理してどちらかの
自分に「落ち着かないと」なんて思っていたけれど・・どっちの自分でも
良いのだ、と自分にOKを出した。 

OK を出すって結構大切ー。
抑えているのは自分自身ってことが殆どだから。